猛暑がやってきました。
職員Aの夏の思い出は、お祭りです。5類になってもコロナ流行中ですが、来年こそ沈下してかもめグループの納涼祭で子供たちのはしゃぐ声が響いたらいいなあと願っています。
自分も介護保険サービスに支えられた一人なので、この場をかりて我が家の介護の日々を回想したく思っています。
今、仕事を通して関わるご家庭も、それぞれ百人百通りで、今日この日を懸命に生活されており、頭がさがるばかりです。母の認知症をどうしようかと思った頃、父が倒れ入院しました。入院と同時に、入院先の病院から毎日のように電話を頂き、手術や検査同意書のサインをしなければならず、高速道路を使って毎日、病院に行きました。そんな時でも、母は大好きな野球の話ばかりします。野球のルールを知らないという私に、今の時代(どんな時代よ)、野球を知らないなんてと生きていけないくらいの勢いで話し通します。
(大谷翔平選手の活躍をみて、元気になる人が世界中にいっぱいいるんだろうな。母にも教えてあげたい今日の私)
そんな中でも、父の退院の調整がつき、在宅療養が始まりました。母に介護力は期待できません。当時、他の職場で働いていた私が一番、頼りになったのはヘルパー(訪問介護)さんです。
父の為にきてくださるヘルパーさんですが、母は気に入りません。
母の言い分は、あの人、なんでくるの?私の名前まで知ってるんだよ、ちょっと隠れちゃったというありさまです。
それでも、さすが経験豊かなヘルパーさん達、嫌な顔ひとつしません。娘が憎たらしいと思う母に対しても、しぐさがかわいらしいということを私に伝えてくれます。
ある日、半休をとり家に早く帰りました。訪問介護の管理者さんが父の傍らに座っていました。ちょっと、顔を見に来ただけと言ってくれましたが、たぶん悩ませてしまったのだと思います。父は、発熱ばかりで、痰も多量に出て、身体も痛がり、ヘルパーさんにお願いできる状態ではなく、他の方法を考えるべきだったと思います。
当時、訪問看護の利用の仕方もよく理解しなかった私ですが、今だったら選択肢のひとつだったかなと思います。父は誤嚥を常にしていました。経口摂取はできない状態でありながら、トマトジュースを母に飲まされては、赤い痰を出し、熱をだします。
訪問介護の管理者さんは、利用者様家族様の状況を一番理解しつつも利用者の安全なサービス提供を整備するとともに、確実な訪問体制を組まなくてはいけません。
管理者さんはその後、何も言わず最期まで両親に寄り添ってくれました。経験値と、人柄が重視される、まさにプロフェッショナルと呼ぶべき仕事だなと尊敬しています。日本全国、ヘルパーさんが不足していると聞きます。もっと、ヘルパーさんの処遇改善を考えてくれ、プロフェッショナルとしてもヘルパーさんが増えたらいいなと思っています。
(次回に続く)
(⬆︎これ知っている人いますか?ナショナルから発売されたジョーバというロデオマシーン。父の在宅療養が始まった頃、訪問入浴の方たちが来るとなぜか、母はこれに騎乗しており、シュールな光景が広がっていました。さらにさかのぼれば、母はこのマシーンを最大回転させ、頚髄症で木更津東邦病院のお世話にもなりました)
木更津東邦病院の物忘れ外来含む各種外来、居宅介護支援事業所、デイケア、デイサービス、訪問介護、訪問看護、介護老人保健施設、ショートステイ、特別養護老人ホームとかもめグループだけでもお役にたてる部署があります。
また、公的支援制度の各種窓口に繋げることもできます。介護は、相談・協力してくれる人がいなければ、介護者も押しつぶされてしまいます。
気持ちを理解してくれる人がいるだけで、楽になれます。具体的な解決策で、自分の就労や勉学も続けることができます。
~~~ 本日の格言 ~~~ 養老孟司さんの言葉