職員Aです。
夏が終わると、秋の夜長に、読書・芸術・スポーツ・食事等々それぞれに楽しみを見つけられると思います。
しかし、母は秋になると物悲しいといっていました。10年くらい前は、犬と月を眺め、ぼんやり外に座っていることもありました。仕事と子育て、各種おつきあいに忙しい自分は、かぐや姫の気分かしらとまったく母の気持ちによりそうことはありませんでした。
母は、常に寂しかったのだと思います。子供の頃、戦争にいって帰ってこなかった兄、病気でなくなった姉、自分の子供、物忘れ…
沢山の悲しみを経験しました。亡くなるまで、亡くした子供の小さな手袋と写真を毎晩、寝しなにみていました。夫(私の父)に関しては、ごはんがおいしくなくなるくらい悪口を言い続けていました。
そんな母は認知症が進行すると同時に、タイムトリップが上手になりました。テレビをよその家よりはやく購入し、近所の人がこぞってプロレスをみにきたこと、運動会で一等賞になったこと、初めてアイスクリームを食べたこと、長嶋茂雄がホームランを打ったこと、近所では一番最初に運転免許をとったこと、船乗りの彼氏がいたこと…楽しそうに話し、よく歌います。
けれど、食事がとれなくなってきたころから、あんな悪口をいっていた父の事しか話をしなくなりました。「あんな素敵な人はいない」「やさしかった」「一度もお金で苦労したことはなかった」「かっこよかった」と、聞いていて恥ずかしいくらいだったし、それは妄想というのだよと訂正もしようかと思ったくらいです。水とサイダーしか口にしないので、入院する?と聞いた時にはどこもいかないと自分の意思を言いました。
その後、かろうじて私と内孫の事は覚えていましたが、1時間かけて週に何度も通ってきてくれた妹や亡くした子供の事は、いっさい話さず何も苦痛はなく、枯れるように亡くなっていきました。
母の葬儀のあと、いとこたちが教えてます。「うちのお母さんは、家で死ぬなんて嫌だ、治療をちゃんとしてほしいって。」「うちのお母さんは、ひとりで家にいるなんてさみしい、施設にはいって介護の職員さんに世話してほしいって」と。
これらは、母が本当に望んだことかは、わかりません。仕事で関わる方も、気丈で本当に一人暮らしを楽しんでいる方、食事作りが困難になって食事のサポートをするだけで、元気を回復する方。
施設で、職員以上に施設のことを親身に考えてくださる方。
熱心に介護について考える子供さん達。ちょっと距離をおくことで家族関係が保たれるご家族。経済的な理由等で選択肢が選べなかったご家族。10年以上の介護生活を続けていらっしゃる方。
だけど、ひとりで考えないで、言葉にして、困りごとを相談してほしいと思います🍀
木更津東邦病院の物忘れ外来含む各種外来、居宅介護支援事業所、デイケア、デイサービス、訪問介護、訪問看護、介護老人保健施設、ショートステイ、特別養護老人ホームとかもめグループだけでもお役にたてる部署があります。
また、公的支援制度の各種窓口に繋げることもできます。介護は、相談・協力してくれる人がいなければ、介護者も押しつぶされてしまいます。
気持ちを理解してくれる人がいるだけで、楽になれます。具体的な解決策で、自分の就労や勉学も続けることができます。
↑美しい日本語一位だそうです。
5回にわたり、母の思い出を書かせていただきました。
ご拝読ありがとうございました。