職員Aです。稲穂がこうべをたれてきました。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、お仕事で出会う方々にも物腰の低い謙虚な中にきらっと光る対応の方がいて、私もそこを目指したいのですが、ほど遠いのであります。
稲穂が垂れることで、もうひとつ思い出すのは、昭和15年生まれの母のことです。
母は、75歳過ぎより腰が曲がり、O脚となりとても小さな身長となりました。朝・夕、シルバーカーを押して散歩に出かけていました。母の見えていた景色はどんなだったのでしょうか?季節外れのたんぽぽかと思うような細いひまわりが折れていると添え木がされています。飼い犬には、太いマジックで眉毛を書いてあります。柿の実がなっても、低い枝になったものしかみつけられず、今年は柿がならないと残念がります。なんだか幼子のような生活です。栗を拾いにいっては、胸ポケットからお金を落とし、それを自分でみつけ、寝たきりの父に報告します。「栗泥棒にきて、お金落としていくなんて間抜けだね」と。だいぶ金銭管理もできなくなりました。正直、私は毎日、イライラしてしまいましたが、他市に住む妹は自分で幸せの種まいて、自分で喜んでいるんだから幸せだねと笑います。胸ポケットのお金は、孫におこづかいをあげたい一心で常に持ち歩きしていました。
孫を生きがいにしていた母は、このあと、50年以上連れ添った父を亡くし、孫が進学の為、家をでるというエピソードをきっかけに急激に認知症だけでなく身体の衰えが進みました。食事をすすめても、「ご飯はみっつの時から食べているから食べたくない」と。私が家に帰ると、朝座っていた場所とおなじ場所でうなだれています。おこりんぼうだった母が怒りもせず、笑わなくなりました。デイサービスなんかいかないよといっていた母は、素直にデイサービスに行きました。食事をとらないのは変わりありません。母が子供のころから、お世話になっている地域の先生の診療を受けにいきました。採血で、異常がみつかりました。精密検査をするには入院も必要だろうし、先生は「いまさら病院に行くかい?」と聞いてくれ、私はこのまま家で介護しますと帰りました。
先生には信頼があります。祖父も曽祖父母もこの地域の医院が看取って下さっています。祖父の時には、あのじいさん、まだいたのかとか先生に言われたのを覚えています。祖父も先生に暴言を吐いていたのでお互い様です。地域の先生は、記憶力もよくそれぞれの家庭のことをよく覚えていてくれます。赤ちゃんから高齢者まで幅広く診療なさいます。自分も子供の頃、玄関先に置いた先生の手洗いの為の洗面器、化粧石けん、タオル、先生の黒い往診カバンとなつかしさがよみがえります。ただ、母の看取りに関しては、私の母でもありますが、妹の母でもあります。このまま、私が母に変わっていろんなことを決めてしまっていいのか?と悩みました。
実は、この葛藤は少し前からあり、母と一緒に公証人役場に行って任意後見制度の手続きをとっていました。
次回に続く…
木更津東邦病院の物忘れ外来含む各種外来、居宅介護支援事業所、デイケア、デイサービス、訪問介護、訪問看護、介護老人保健施設、ショートステイ、特別養護老人ホームとかもめグループだけでもお役にたてる部署があります。
また、公的支援制度の各種窓口に繋げることもできます。介護は、相談・協力してくれる人がいなければ、介護者も押しつぶされてしまいます。
気持ちを理解してくれる人がいるだけで、楽になれます。具体的な解決策で、自分の就労や勉学も続けることができます。
~~~ 本日の格言 ~~~ 三好春樹さんの本より
三好先生、先日、木更津に講演会に来ていらっしゃいました。介護業界、団塊の世代の人たちがリードしてきた力強さを感じます。私も1冊しか読んでいないのですが、良本が沢山ありそうです。